柳田国男氏の妖怪談義より引用します。
一
名称
・地域により川太郎やドンガスなどの呼び名がある ・山にいる際、山神として奉られる場合がありカシャンボと呼び名が変わることがある
性質
・ヒョンヒョンと鳴くことが多く、ムナグロと云う鳥に似ていることからしばしば混同される ・ヒトの子供に化け相撲をとりたがる ・冬以外は村におりてき、村人に泳ぎをおしえる
二
カッパとキュウリ
カッパと云えばキュウリが好物です。地方では旧六月を水の祭りとしその際キュウリを供えたと云い、別名が川の殿と呼ぶところから供え物だったようです。
カッパの腕が自在に抜ける
アイヌでは神様が大人数を必要としたときに草を束ねて人形を作り命を吹きこみました。その際、腕の構造が一本の棒を突き刺しただけだったことからこのようになったのでは、と氏は推測しています。
---まとめ---
妖怪のなかでもとりわけ知名度が高く、殊に北海道まで分布していることは本邦の文化を知る上でとても興味深いです。
柳田国男氏の妖怪談義より引用します。
---特徴---
一
・ザシキワラシや東京ではクラボッコとよばれる ・火災からその家を守ったり、富をもたらしたりする ・姿は女か幼女 ・幼女の場合は幼児しかみることができない ・顔色が赤く小豆が好物
二
氏によれば巫女が秘法をもって童子を作り様様の用事をいいつけ、不用になった魂は帰るあてがないため、その家にとどまっているのではないかとしたためています。何故子供なのかは教育がそれほど重要ではないころの話なので、賢明の老人よりはなるべく汚れのないものをえらんだとも云います。
---まとめ---
今日ではむしろ怪奇の類であつかわれていますが、本来は神であったようです。呼称や性質も地域によっての変遷は他の妖怪と比べればそれほど大きくなく、目撃者も多数で害もなかったからかもしれません。
特徴を並べてみると妖怪よりは妖精にみ、殊に彼女の好物と顔色が似ていることから、小豆との関係もみのがせません。
今日では相撲や綱引きそれに競馬は、スポーツやギャンブルとして認識されています。時代をさかのぼれば元元は神道の儀式としてもちいられ、豊作や大漁などを占うためのものでした。柳田國夫集第十巻によれば、神道との共通点として未来を知ることである、としたためています。
時代劇では一般人や旗本すら真摯に結果をうけとめる場面を目にします。これは昔に限らず、今日でも動物占いをはじめ様様のものがあることから、これからもつづくでしょう。この条件はむしろ外国の文化に配慮するのが本邦の性質でも、まだ現代人の心に神道精神があることを意味するものであると云えそうです。
常光徹氏の言葉をかりながら変遷を考察します。
---昔の降霊術は---
股のぞき ・ 股の間から後ろをみること ・ 幽霊船や化け物の正体をみることができる ・ 異国がみえる
袖のぞき ・ 化け物は袖の下からみれば正体がわかる ・ 幽霊船がみえる ・ 未来などを占う
股のぞきは頭と他の部位を逆にすることでズレが生じ、それによってあの世とこの世がいれかわるからと云われています。袖のぞきは隙間をあの世との境目としてとらえ、交信をはかろうとしたのでしょう。どちらにしても至って簡素であり、特別の道具もひつようとしません。これらが遊びの範囲だとしても密着だったことがわかります。
---現代を不思議スポットからかんがえる---
不幸がかさなることがスポット化する条件とは云え、噂がたっても公にはされません。このあつかいは死や面妖などのこの世のものではないものを禁忌とし、ヒト目につかないところへ葬られることが本来のもくてきなのかもしれません。でも葬式などを研究しているヒトにとってこれほどまでに死を封印することは歴史上ありえないと云います。
では何故そうなったのでしょう。氏は高度経済成長の前後に要因があったと謂います。そこで具にしらべてみると、差別的なふるまいにたいする糾弾や言葉狩りなどが飛びかう混沌たる時代であったことがわかりました。氏はしたためていませんが、このあたりに焦点をあてるひつようがありそうなきがします。
次に柳田國夫氏の定義にそって考察しました。
---妖怪と幽霊のちがい---
妖怪 ・決まった場所に出現 ・相手を選ばない ・宵の頃
幽霊 ・幽霊の方からやってくる ・目当ての相手がいる ・牛三つ時
出現場所(妖怪、幽霊)墓地、旧家、塚、辻など
---現代に当てはめると---
今日でもこれらが常に横たわってい、妖怪と幽霊を混同してあつかわれていると推測でき、殊に決まった場所に出現することが顕著です。これは不思議スポットとし、目当ての相手をひたすら待つ行為は地縛霊とかんがえられます。
---彼らと怪談---
怪奇はヒトづてに語りつがれるものです。もしヒトの手をかりて成長しているならば、妖怪や幽霊とは不思議をあらわすための材料として、強いて云えば怪談イコール妖怪や幽霊かもしれません。つまり語りつがれることによって生き続け、とだえれば消滅すると解釈でき、お化けが死なない謂われはこれらにありそうです。また時代や語り手などによる変遷のほか、数百年にわたり根本だけは崩されないこともみのがせません(これは話が長くなるため、割愛します)
最近はどんなものにも本物志向を要求される時代なので、彼らにはとても住み心地が悪いことでしょう。科学的に解明することも結構ですが、怪談を語るぐらいのゆとりはほしいものです。
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